塚本邦雄 略歴(詳細版)

1933年(昭和08年)13歳 滋賀県立神崎商業入学。聖書や萬葉集、文学全集などを濫読。

1938年(昭和13年)18歳 滋賀県立神崎商業卒業。4月、又一株式会社に就職。

1941年(昭和16年)21歳 8月、国民徴用令により呉市の広海軍工廠に徴用。会計部に配属。

1943年(昭和18年)23歳 呉市で発行されていた歌誌【木槿】に参加、5月号に八首掲載。

1944年(昭和19年)24歳 8月30日、母逝去、享年54。晩歌百首を制作、筺底に秘める。11月歌誌【青樫】の同人となり、毎月作品を発表。誌上にて竹島慶子を知る。

1945年(昭和20年)25歳 8月6日、広島原爆の様子を呉より遠望する。15日終戦。23日帰郷。10月復職。兵庫県河辺郡川西町寺畑に居住。 

1946年(昭和21年)26歳 7月、尾道出張所に転勤となり三原に居住。11月、広島出張所を兼任。

1947年(昭和22年)27歳 2月、【青樫】の歌会で竹島慶子と対面。【日本歌人】の前川佐美雄に師事。別誌「オレンヂ」2号に初めて作品を発表。未知の同人杉原一司の活動に注目する。

1948年(昭和23年)28歳 3月、岡山出張所に赴任。5月10日、竹島慶子と結婚。倉敷の叔父外村吉之助(後に倉敷・熊本両民藝館館長)方に同居。

1949年(昭和24年)29歳 2月、松江に転勤となり単身赴任。4月9日長男靑史誕生。7月、杉原一司を鳥取県の自宅に訪ねる。8月、同人誌【メトード】を杉原一司の命名にて創刊。 

1950年(昭和25年)30歳 5月、杉原一司が急逝したため【メトード】は7號で廃刊。12月【日本歌人】同人の合同歌集『高踏集』に「クリスタロイド」76首を以って参加。

1951年(昭和26年)31歳 8月7日、第一歌集『水葬物語』(限定120部)を刊行。「短歌研究」8月号、モダニズム短歌特集に中井英夫編集長の依頼を受け、「弔旗」10首を発表。

1952年(昭和27年)32歳 「文學界」9月号に三島由紀夫推奨により『水葬物語』の「環状路」10首が抄出掲載され、話題になる。

1953年(昭和28年)33歳 11月、職場集団検診で肺結核と診断される。

1954年(昭和29年)34歳 療養のため休職。ストレプトマイシンの投与を続ける。

1955年(昭和30年)35歳 10月、岡井隆に初めて手紙を書き、12月、大阪天王寺美術館「メキシコ美術展」で会う。

1956年(昭和31年)36歳 3月、第二歌集『裝飾樂句(カデンツァ)』を刊行。「短歌研究」誌上にて大岡信と論争。7月より復職、財務部勤務。

1958年(昭和33年)38歳 10月、第三歌集『日本人靈歌』を刊行。12月、出版記念会が大阪北浜で開催され、壽岳文章、前川佐美雄ら出席。寺山修司、春日井健、「短歌」編集長中井英夫、「短歌研究」編集長杉山正樹らと初めて会う。

1959年(昭和34年)39歳 6月、『日本人靈歌』により第三回現代歌人協会賞を受賞。

1960年(昭和35年)40歳 6月、山中智恵子、岡井隆、春日井健、菱川善夫、安永蕗子、秋村功、浜田到らと同人誌「極」創刊(1号のみ)。

1961年(昭和36年)41歳 2月、第四歌集『水銀傳説』刊行。3月東京にて「塚本邦雄を囲む会」。

1963年(昭和38年)43歳 4月、東京・豊島園における「1963年現代短歌シンポジウム」にて「現代短歌における方法の研究」を発表。9月、「律」3号に共同制作定型詩劇「ハムレット」を構成、演出。

1964年(昭和39年)44歳 中井英夫『虚無への供物』の出版記念会に出席。この時初めて三島由紀夫、澁澤龍彦に会う。

1965年(昭和40年)45歳 5月、第五歌集『綠色研究』刊行。東京神田で「『綠色研究』を祝う会」葛原妙子、篠弘、岡井隆らが出席。

1966年(昭和41年)46歳 5月、篠弘の紹介により三島由紀夫と晩餐。

1967年(昭和42年)47歳 12月、明治大学において現代歌人協会主催「現代短歌土曜講座」の講演。

1968年(昭和43年)48歳 三河犬を「百合若」と命名、家族同様に飼育。11月、澁澤龍彦責任編集の「血と薔薇」創刊号に「悅樂園園丁辭典」を発表、2、3号に連載。

1969年(昭和44年)49歳 9月、第六歌集『感幻樂 』刊行。11月 、「『感幻樂 』批評会」に永田和宏、生田耕作、安森敏隆らが参加。「短歌」12月号「塚本邦雄の世界」特集。

1970年(昭和45年)50歳 11月、政田岑生、湯川成一と初めて会う。11月25日、三島由紀夫逝去。12月、第一から第六歌集を纏めた『塚本邦雄歌集』刊行。

1971年(昭和46年)51歳 2月、初散文集『悅樂園園丁辭典』、6月、自選歌集『茴香變』、9月、初評論集『夕暮の諧調』、12月、第七歌集『星餐圖』刊行。 

1972年(昭和47年)52歳 2月、初小説集『紺靑のわかれ』、8月、第八歌集『蒼鬱境』刊行。三一書房『現代短歌大系』全十二巻の責任編集員の一員になる。

1973年(昭和48年)53歳 4月、初句集『斷弦のための七十句』、7月、自選歌集『眩暈祈禱書』、10月、第九歌集『青き菊の主題』刊行。11月、大阪近鉄百貨店にて「塚本邦雄著書と墨蹟展」開催。記念歌集『黄冠集』刊行。加藤郁乎や寺山修司と対談。

1974年(昭和49年)54歳 1月、会社を円満退社し、以降執筆に専念。12月、未刊歌集『驟雨修辭學』刊行。

1975年(昭和50年)55歳 2月、夫人同伴でハワイ旅行。6月、第十歌集『されど遊星』刊行。季刊誌「銀花」21号「塚本邦雄特集」。12月、未刊歌集『透明文法』刊行。

1976年(昭和51年)56歳 「國文學 解釈と教材の研究」1月号「美の狩人・塚本邦雄と寺山修司」特集。4月、夫人とともに復活祭の欧州周遊。東京赤坂・銀花コーナーにおいて第一回「塚本邦雄筆趣展」開催。9月、「サンデー毎日」に「七曜一首・七曜一句」連載開始。

1977年(昭和52年)57歳 5月、夫人とともにスペイン横断旅行。4月、『茂吉秀歌『赤光』百首』刊行(『茂吉秀歌百首』シリーズは講談社学術文庫より順次全5冊刊行)。6月、第十一歌集『閑雅空間』刊行。9月、NHKテレビ「日曜美術館-私とベラスケス」に出演。

1978年(昭和53年)58歳 6月、夫人とともにヨーロッパ周遊。

1979年(昭和54年)59歳 5月、NHKラジオ「後鳥羽院」の録音、三國一朗と対談。6月、夫人とともにヨーロッパ周遊。7月、第十二歌集『天變の書』刊行。9月、「サンデー毎日」の「サンデー秀句館」にて投稿者の選を始める(~1982年5月まで)。11月、自選歌集『反婚黙示録』刊行。

1980年(昭和55年)60歳 1月、NHK「百人一首の謎」に出演。4、5月、夫人とともにヨーロッパ周遊。

1981年(昭和56年)61歳 7月、毎日新聞に「けさひらく言葉」連載開始(~1986年12月31日まで)。同月イタリア中世古都歴訪。9月、八尾西武にて「夜鶯の會」始まる(~2001年1月まで)。

1982年(昭和57年)62歳 5月、『定本塚本邦雄湊合歌集』刊行。8月、南欧周遊。11月、第十三歌集『歌人』刊行。

1983年(昭和58年)63歳 「短歌」3月号「塚本邦雄特集」。5月、寺山修司逝去。6月、ヨーロッパ周遊。11月、ソネット詩集『樹映交感』刊行。

1984年(昭和59年)64歳 「國文學 解釈と鑑賞」2月号、特集「塚本邦雄の世界」。6月、ヨーロッパ周遊。8月、第十四歌集『豹變』刊行。

1985年(昭和60年)65歳 6月、瀬戸内寂聴のコーディネートにより徳島市「徳島塾」にて講演。8月、ヨーロッパ周遊。9月、未刊歌集『初學歴然』刊行。10月10日塚本邦雄選歌誌「玲瓏」準備號刊行、主宰となる。

1986年(昭和61年)66歳 7月、ヨーロッパ周遊。9月、第十五歌集『詩歌變』刊行。10月、日本の名随筆48『香』塚本邦雄編発刊。

1987年(昭和62年)67歳 1月、毎日新聞に「塚本邦雄の選歌新唱」連載開始(~1991年10月まで)。同月、名古屋・美の談話室「塚本邦雄の著書-その美の世界」展開催。5月、『詩歌變』にて第二回詩歌文学館賞受賞。7月、ヨーロッパ周遊。8月、「塚本邦雄の變を嘉する會」。11月、自選歌集『寵歌』刊行。同月、NHK「ビッグ対談」に飯田龍太と出演。

1988年(昭和63年)68歳 第十八回銀花薫章受章。3月、第十六歌集『不變律』刊行。7月、ヨーロッパ周遊。「歌壇」7月号に二人百首歌・塚本邦雄と岡井隆で「花鳥百首」と題し百首発表(『波瀾』所収)。8月、「玲瓏全国の集ひ」を開催。同月、玲瓏叢書1間奏歌集『玲瓏』刊行。9月、国文社より「現代歌人文庫Ⅰ」として『塚本邦雄歌集』刊行。

1989年(平成元年)69歳 4月、近畿大学文学部教授就任。同月、短歌新聞社現代短歌全集四十九巻として旅詠『ラテン吟遊』刊行。6月、『不變律』にて第二十三回釈迢空賞受賞。「歌壇」6月号「作家研究・塚本邦雄」。6、7月ヨーロッパ周遊。8月、第十七歌集『波瀾』刊行。

1990年(平成2年)70歳 「俳句四季・夏」6月号増刊「塚本邦雄特集」。7、8月、ヨーロッパ周遊。11月、紫綬褒章受章。12月、書肆季節社刊『現代詩コレクション』を撰著監修。

1991年(平成3年)71歳 4月、第十八歌集『黄金律』刊行。10月、「現代短歌雁」20号、「総力特集・塚本邦雄と岡井隆」。インタビュー・塚本邦雄の現在(構成・永田和宏)。

1992年(平成4年)72歳 5月、『黄金律』にて第三回斎藤茂吉短歌文学賞受賞。8、9月、ヨーロッパ周遊。12月、短歌研究社より、自選歌集文庫『塚本邦雄歌集』刊行。

1993年(平成5年)73歳 3月、第十九歌集『魔王』刊行。8、9月ヨーロッパ周遊。9月、「未来」五百号記念大会にて「前衛四十二年」と題し講演。12月、『魔王』にて第十六回現代短歌大賞受賞。

1994年(平成6年)74歳 6月29日、政田岑生逝去。8、9月ヨーロッパ周遊。11月、第二十歌集『獻身』刊行。同月、NHKラジオ第一「暁の言葉」に出演。

1995年(平成7年)75歳 1月、阪神淡路大震災、自宅にて被災。8、9月ヨーロッパ周遊。

1996年(平成8年)76歳 2月、NHKラジオ第一「わが故郷・わが青春」に出演。放送大学特別講義「現代短歌の世界」に出演。8、9月ヨーロッパ周遊。10月、第二十一歌集『風雅黙示録』刊行。

1997年(平成9年)77歳 4月、勲四等旭日小綬章受章。同月、「短歌王国スペシャル第三回BS市民参加短歌大会」に選者として出演。「歌壇」5月号に「月耀變」三百首を一挙発表(『詩魂玲瓏』に所収)。8月、第二十二歌集『泪羅變』刊行。

1998年(平成10年)78歳 4月、「短歌王国スペシャル第五回BS市民参加短歌大会」に選者として出演。9月8日、慶子夫人逝去。10月、第二十三歌集『詩魂玲瓏』刊行。11月、「塚本邦雄全集」全十五巻・別冊巻刊行開始(ゆまに書房)。同月、「短歌王国スペシャル第六回秋季BS市民参加短歌大会」に選者として出演。12月、国文社より現代歌人文庫『続・塚本邦雄歌集』刊行。

1999年(平成11年)79歳 3月、近畿大学文芸学部教授退任。6月、対談集『獨斷の榮耀』のため安森敏隆と対談。10月、「列島縦断秋の短歌王国スペシャル第八回」に選者として出演。

2000年(平成12年)80歳 5月、「列島縦断春の短歌王国スペシャル第九回」に選者として出演。8月、胆管結石と急性肝炎を併発、治療のため入院。9月、退院。

2001年(平成13年)81歳 3月、第二十四歌集『約翰傳僞書』刊行。6月、「塚本邦雄全集」全十五巻・別冊巻刊行完了。

2002年(平成14年)82歳 「短歌」10月号、特集「塚本邦雄に出会う」、「短歌朝日」11・12月号、特集「塚本邦雄が選ぶ日本の名歌二百首」。

2005年(平成17年)85歳 5月、短歌新聞社より、新現代歌人叢書として選歌集『寵歌變』刊行。6月9日、午後3時54分、呼吸不全のため大阪府守口市の病院にて死去。84歳。12日、東大阪玉泉院において通夜。13日、同院にて葬儀、告別式。戒名は玲瓏院神變日授居士。葬儀委員長は篠弘、弔辞は馬場あき子、岡井隆、福島泰樹。喪主は長男の靑史。 歌集、小説、評論等著作約300冊を遺した。命日は「神變忌」。

(敬称略)